災難は忘れた頃にやってくる

実務編では【1996年】東海市中ノ池のログハウスを借りて二人でショップを経営し始めた所から
佐藤一人での経営に移った所までをお話しました。今回はその後の失敗談をお話しします。
主婦が経験も無いショップを開いたのですからスムーズに行かなくて当たり前だと思って下さいね!

ログハウスを借りたときは10年間は借りれる約束だったのですが【2000年】薬事法の改正で病院と薬局が分離するようになる頃でした。
何しろ市民病院の入退院入口のすぐ横のログハウスですから多分薬局から借りたいとの問い合わせが有ったのではないかと思います。
大家さんから出て行って欲しいと言われ次の移転先を探さなければなりません。
まだ、初期の改装費用も完済していません。
其の上一緒に立ち上げたMO2さんが別行動をとることになりそちらの資本分を無理して工面し、お返ししたので、金銭面では【にっちもさつちもどうにもとまらない♪】の状態です。
毎日不動産屋さん巡りが始まりました。中々予算と希望に合う物件は見つかりません。
もう場所がどうの、交通の便がどうの、と言ってる場合ではない!と心に決め
何が一番大事か、譲れないのは何か?教室経営がしたいのか?
ショップとして商品が売りたいのか?と優先順位を決めて物件を探すことにしました。
それでも3か月は掛ったでしょうか?
次のお店、東海市加木屋町のスーパーの跡地を見つけました。
こちらはまずは、下見に来てからでないと訪ねて来れないと苦情が出るような一方通行の多い住宅街の中に有ります。でも、予算に見合うこと【これが一番大事♪】、2番目にとても広い事でした。
大家さんの都合で急に出て行って欲しいといわれましたが、現状はそのままで良い。引っ越しの期間3か月分の家賃は無料にしてくれるとの事で【新しい店舗を紹介してくれた不動産屋さんが交渉してくれました。】金銭的に苦しい時でも何とか引っ越しことが出来ました。
★銀行からの借入金は前の借入+今回の改装費で借金倍増!です。
私はまだ若い!?頑張るぞ~!良きスタッフが居てこその頑張りでした。

それから15年経ったころです。
前回の返済も終わり、初期の経営に対する不安も無くなり、ホボ順調に進んでいたかに見えたショップ経営の最中またも、大家さんからの立ち退き依頼です。
それが、2015年1月のことでした。
それからまた店舗探しが始まります。でも前回と違い今回は80坪以上は有る店舗の移動です。
お店は広ければ広い程何かと設備を入れ大きさに見合うように使っていくものです。
すぐにこの広さの店舗が見つかるはずも無く!毎日夜パソコンに向かい土地、店舗を探します。
スタッフも協力して探してくれました。
良さそうな所が有ると次の日には不動産会社に電話をして、一緒に行って物件を見せてもらうか、又はFAXを流してもらいその場所を見に行って来るかしました。ほとんど毎日、知多市、東海市、大府、阿久比町、東浦とまわっていました。1日だいたい3件はまわったでしょうか?
教室をこなし、美術展用の作品を制作しながらですから毎日夜12時以前に寝たことが有りません。
そして、3月、大家さんの代理だと言う不動産業者との話し合いになりました。
その時、聞いたのは今の店舗の土地は更地にして分譲住宅を作るとの事でした。
その話し合いの前にも教室の時間中男の人がチラシをもってズカズカとショップ内に入り込み教室の中まで来て「なんだ!まだ出て行って無いのか!」と生徒さんの前で嫌がらせの様に言って帰った事が有りますから私もスタッフに怖くて一人では留守番は出来ないと言われますし、早く出て行きたい気持ちにはなっていました。
不動産業者からは出て行く条件として
家賃3か月分は無料にする。
改装をしてあるが現状のままで良い。
もし、3か月で見つからないのであれば、もう3か月他を借りて移ったらその分の賃料は持つ。
引っ越しの費用もある程度何十万は持つと提示されました。
そこで、契約書を作るから契約してくれと言われたのですが、3か月間毎日血眼になって探しても見つからないのですからそう容易く見つかる訳が有りません。6か月間ではとても契約出来る期間では無かったのです。
そこでこの店舗を紹介してくれた不動産屋さんに相談しました。
その不動産やさんが大家さんと掛け合ってくれて
「ゆっくり探せばいいよ」そう話をつけたと言ってくれたのです。前の不動産業者とは契約が切れたのでゆっくり探せば良い。
その後で私が、もう出て行かなくても良いのかと聞きますと、「いや、ゆっくり探せば良い」と返事をします。。出て行かなければならない事に変わりは無いと思いました。
もう、店舗を借りるのはイヤ!幾らお金を掛けて改装しても、大家さんの都合で出て行かなければならないのです。
でも、資金は有りません。銀行から借りるしか有りません。
在る信金に相談に行きました。
その時、私も主人ももう還暦を過ぎています。後継者が居て、尚且つ若い人が保証人になってくれないと貸せないと言われました。
4人のスタッフと話し合いました。
このショップを株式会社にするか、合資会社、その他色々な会社の形態や役員の数やどんな利点が有るか、また、資金を出し合えるか等。
その間でも土地、店舗探しは続きます。
安くて広い土地が見つかるとそこは市街化調整区域だったりします。
大きな幹線道路沿いでも飲食店や美容、理容院は良いのですが、当ショップの様なお店はダメだと言われます。教室がダメで国語、算数、英語の教室は良いが、美術関係の教室はダメなのだそうです。
パチンコやさんや、一杯飲み屋さんには申し訳ありませんがそちらの方たちよりは教育上良いとは思うのですが!役人には逆らえません!
他の住宅地で探しますと何平米以上の店舗は作ってはいけない!と又決まりです。
もう、このショップの行ける場所は無いのかとあきらめていたころ
今度は売り上げの減少に気付き愕然です。ショップ経営に力が入らなかったからでしょう!
これでは、スタッフに共同経営の話は持っていけません。赤字が続けば不協和音が出てくるのは明らかです。
其のうえ土地は買えても新店舗を建てるとなると予定金額の倍は掛ることが判明です。
頭が冴えて眠れない日が続きます。
其の頃、長男が家の近くに引っ越してくることになりました。
色々店の事とかを話しているうち、お嫁さんが協力しても良いと言ってくれました。
お腹に赤ちゃんがいて、直ぐにお店の経営に参加出来るわけでは有りませんが、心強い味方が出来ました。
後継者問題解決です。それと同時に保証人も出来ました。これで銀行に融資を申し込む事が出来ます。
もう、土地を買って、新店舗を建てる事は諦めて中古物件で探すことにしました。
その年の10月やっと今の建物が見つかったのです。
そこはそろばん塾の後で大きなショップでも経営できる土地でした。
我が家からも近く、2軒の家屋を足すと今までの店舗と同じくらいの大きさになります。
リホームの費用を加えても何とか資金は足りそうです。
それから、銀行に出す書類の作成に追われます。
何とか2016年4月には引っ越しが出来るようにしたいと準備し始めました。
銀行から何日には融資が下りるとの返事を聞いてすぐに不動産やさんに連絡しました。
その時に融資が下りる日にちも聞かれ答えると「よし!」?何がよしなのか分かりませんでしたが…
その後前回の不動産業者との話し合いで言われた条件を伝えると大家さんがそれでは承知しない。そちらに電話すると言っているが止めるわけにもいかないのでとの返事でした。
不動産屋さんが私が居ると電話でわかった時点で大家さんから電話が有りました。
思い出したくも有りません!。家賃を払わないならすぐに出て行け!荷物を放り出して潰してしまう!と一方的にガナリたてます。只々恐ろしかった!借金の取り立てはこんな感じなのかと胃がムカムカして吐きそうになるのを必死でこらえていました。
とても普通の生活をしてきた人には耐えられません。
只々大家さんと交渉はもう2度としたく無かった!。
お金が有るわけでは有りません。でも、自分の精神状態を保つには弁護士さんに中に入ってもらうしかないと思いました。
すぐ、その日のうちに弁護士さんを探し、次の日には面会に行き、話を聞くと同時に契約しました。着手金はその当時の私には決して少ない金額では有りません。でも、お金に換えられない何かが有ります。心の平常心を保ちたかった!
その後はすべて弁護士さんが話を受けてくれました。
出て行って欲しいと大家さんが言うまでいたほうが良いとのアドバイスで銀行にも断り
又売主さんにもまってもらっていたのですが、9月末に大家さんから駐車場は使わないように。有料の駐車場にするのでと工事まで1週間もなく言い渡されショップが休業せざるを得ない状態にされてしまいました。もう出るしか有りません。
待ってもらっていた予定の物件を直ぐに貸してもらうことにしました。
本当に親切な売主さんで感謝しています。こちらの都合で先伸ばししたり、急に使わせてくれと言ったり迷惑ばかり掛けてすみませんでした。
とりあえず、教室だけは購入予定の住居で開くことにしました。
すぐに銀行の手続きや購入手続き、リホームの手続きをしなくてはなりません、
怒涛の引っ越し準備が始まりました。
さて、その間にはお店の改装や引っ越しが有ります。
改装は楽しいです!
お金はかけられませんでしたが、玄関ドアは茶色い格子の入った和風の古い引き戸だったのですが、それの格子を取り除き、白くペンキを塗りこれは業者さんがしてくれました。
私たちはスタッフ総出で1週間に2枚ずつのペースでステンドグラスのパネルを組み立てます。
当然夜12時までの作業です。それを昼スタッフがハンダ付けやパテつめ、仕上げをしてくれます。
その間にまたカット、組み立てを2人で夜遅くまで仕上げるという流れ作業で作りました。
中々好評な玄関ドアの完成です。
2階への階段はまるでシンデレラの階段のように広い緩やかな階段です。
その横の壁はスタッフのご主人も手伝って漆喰をぬってくれました。
ショップの天井の茶色い部分は主人が白いペンキを3度も塗り重ねまっ白に仕上げてくれました。
横の壁や柱もスタッフや私で漆喰を塗ったり、ペンキを塗ったりして見違える様になりました。
狭いショップ内に物が置けるよう棚も手作りです。
そしていよいよ引っ越し!もう12月になっていました。
引っ越しと棚卸、年末は忙しいです。でも新しい年には新しい店舗で出発したいですよね!
ショップの体裁はまだ整っていませんが何とかショップも教室も開業するところまで出来ました。後は旧ショップの片付けです。
私はもめ事を起こしたく無いので、家賃もいる間払いました。
改装した、部屋の壁、床、全て取り除きました。金銭的余裕も有りませんので、主人やスタッフに手伝ってもらい大の男でも手作業で壊すなど出来ないと言うであろう作業を皆で体調が悪くなるまで続けての撤去でした。まだ、綺麗な壁や毎回ニスを塗って美しく仕上げていた床を自分の手で壊さなければならない口惜しさ!私は板や材木の処分に一人で軽トラックに乗り1日3往復を何日したことでしょう?人手は足りません!まだ廃棄に行くのは一人でも重労働では有りません。もっと、重労働に耐えているスタッフが居ると思うと埃まみれの中、材木を運ぶのを愚痴っていられません。そして、壁一面のボード、壁紙は剝がさなければ捨てられません。何十枚もある壁のボードも壁紙を剥がし、ボードを処分にまた軽トラックで一人で運びます。
スタッフも私も主人も、腕が痛い、アレルギーで皮膚病になった、咳が夜になると止まらない等病気と闘いながらの作業が続きました。私も心労からかまた、大腸からの出血が有り、手術をしました。でも休んではいられません。それで弁護士さんに大家さんと交渉してもらったのですがまだ、トイレとその配管の撤去を命じられ、トイレの浄化槽も最後までいたのは当ショップでしたが、それまでは2階の住人も使っていたのにいつも全額負担で掃除をするのはA&MO2です。今回も当然それもするようにと言われました。弁護士さんはもう裁判にしても良いのでは?と言うニュアンスでしたが、1日でも早く縁を切りたいと最後の力を振り絞ってすべて終わらせました。
そして2017年4月やっとカギを返すことが出来ました。でも退去の告知から何か月と有るのでと6月までの2か月間明け渡しているのに家賃を支払わされました。出て行けと言ったのは大家さんで私から出て行きたいと言ったわけでは無いのに、ゴネた訳でも無いのにこの仕打ちです。納得がいきませんが出て行くに当たり契約をしなかった私がバカだったのでしょう!
でもこれで最悪の災難は終わりを迎えました。
今は長い引っ越しの余波で経営が順調とは行きませんが、全力でショップ経営に力が注がれますし、この地に引っ越して来てから良い波が来ているのを実感することが出来ます。
今までは新生A&MO2の生みの苦しみでこれからは花開く時期なのだと思える今日この頃です。